新卒で入ったIT系の会社が残業地獄だった話

2018年9月28日

どうも!お疲れ様です。たけし(@takeshinonegoto)です。

今回は僕が新卒で入ったIT企業での、入社から退職までの体験記を書いてみます。

就活中の人や将来IT企業に入ることを目的に進路を考え中の人は、僕の実体験が今後の参考になるかもしれません。

さっそくですが「IT企業」って聞くとどんなイメージでしょうか?

  • パソコンめっちゃ得意な人が入る会社
  • 私服で働いてOK
  • ずっと社内で、お客さんと顔を合わせない
  • 給料高い
  • 最先端な技術を使ってる
  • オタク気質な人が多い
  • コミュニケーション苦手な人が多い
  • 残業が多い

こんなイメージですかね。ぶっちゃけ僕が入った会社で当たってるなぁって思えるのは「残業が多い」だけでしたね。

この時点でお気づきと思いますが、僕が入った会社はいわゆる「ブラック企業」ってやつでした。もちろんすべてのIT企業が過酷な労働環境というわけではないですが、ひとつの実体験として参考になればと幸いです。

 

新卒で入った会社はIT企業。入った理由は男の仕事だと思ったから

僕がIT企業に入ろうと思ったのは高校生のころでした。

当時は世間にどんな仕事があるのかなんてほとんど知らない若造です。学校では理系として進路を進めていたので、理系の職業に就きたいと考えていました。

特に調べたわけでもなく、ただ漠然と「男がやる仕事と言えば技術職。システムエンジニアこそが男がやるべき仕事!」と思っていました。むしろそれ以外になんの仕事をするんだ?くらいに思ってました。

たぶん身の回りに社会と言うものを教えてくれる人がいなかったから、こんな偏った考えになったんじゃないかな。

 

そんなわけで将来はシステムエンジニアになるんだ!と思って大学への進学・就活と進めていきます。

僕が就活をした頃っていうのはリーマンショックの影響をモロに受けるときで、かなり厳しい就活を覚悟していましたが、あっけなく地元のIT企業への内定が決まりました。

 

同僚の中で情報系出身は3割だけ。むしろ文系もいた

入社して最初にビックリしたのが、情報系出身の同僚が3割しかいなかったことですね。

情報系っていうのは、いわゆるIT系の学科を卒業した人って意味です。情報系以外からIT企業に入ろうなんて思う人がいるんだな。ということと、情報系以外からも採用するんだという2つの意味でビックリしました。

さらに言うと割合は低めですが文系出身の同僚までいました。

でも実際に働いてみると、情報系出身かどうか。ましては文系か理系かなんてことは全然関係ないということに気が付きました。

 

僕が自動車免許を取ったときに教官から言われた言葉があります。

君たちは今、実際の道路で自由に運転をできる免許を持ちました。これから運転をしていくということに不安を持っている人もいるかと思います。

ですがよく考えてください。自動車学校に通っていた間、1回1時間程度の実習を週に3回程度やっているだけでここまで運転できるようになっています。

これからの人生、運転をする時間はどのくらいあると思いますか?買い物へ行くとき。学校へ行くとき。仕事へ行くとき。

毎日何時間も運転をすることになります。あっという間に自動車学校で運転していた時間を超えていきます。

1か月もすれば不安なんて消えるくらい慣れます。そんなもんです。

by.自動車学校の教官

学ぶための時間なんて、実務の時間に比べれば些細な時間。実務をやるようになれば、どこで学んできたかなんて関係なくなる。ということですね。

同じことが会社でも言えると思っています。

 

楽しい新人研修。ワイワイしながら仕事を教えてもらった

入社したIT企業は新人研修に割と力を入れている会社でした。これって実は結構ありがたいことで、中小企業なんかだといきなり現場に出されるようなことも珍しくないんですよね。

新人研修の内容は実務的なものから、コミュニケーション研修、ビジネスマナー研修、グループワークなんかがありました。

研修では年の近い先輩と一緒に受講したり、懇親会を開いてもらったりと、先輩後輩間の垣根を低くするような目的もあったんじゃないかと思います。

実際、この研修がきっかけで退職後も仲良くしている先輩もいます。

 

この期間がだいたい1か月~2か月くらいあったんですが、ここが最後のボーナスステージって感じでしたね。この期間が終わったらいよいよ残業地獄が始まります。。。

 

配属先を聞いた先輩がドン引き。部内で1番厳しい場所に入りました

各部署への配属決定の時期が来ました。おおまかな希望を本人から聞いた上で、実際の現場の人員的なものを考慮して新人が送られる部署が決まります。

配属が決まった後、社内のトイレでたまたま一緒になった先輩との会話です。

 

先輩「たけし!配属先は決まったか?」

僕「Jグループに決まったみたいです!」

先輩「え。。。Jグループ?あそこヤバいぞ。。。」

 

なんにも知らない状態で聞かされたまさかのヤバいぞ宣言。IT企業は残業がヤバいっていう予備知識がありましたが、まさか自分がそんな環境で働くことはないだろうって思って生きてきました。

日本人特有の危機感が無いってやつですね。

おまえもしかしてのコマ
出典:幽☆遊☆白書

後で聞いてみると、Jグループというのは社内でも残業時間がずば抜けているグループだそうです。

 

鬼軍曹と呼ばれる先輩の下で働くことに

社内でも残業時間がずば抜けているJグループへの配属が決まりました。僕が入社した会社では新人には教育係として先輩が1人つくことになっていました。

職場がブラックかどうかというのは、仕事内容や環境で決まるものじゃない。上司で決まるんだという言葉があります。(だいたいこんなニュアンスだったかな)

どんな過酷な会社でも、一緒に働く上司がイイ人ならイイ環境に恵まれたと思えますが、その逆もあるという意味ですね。

 

じゃあ僕の教育係としてついてくれる先輩はどんな人なのか。

鬼軍曹って呼ばれてました。

鬼でも軍曹でもなく、鬼軍曹です。しかも陰口とかじゃなくて、本人の前で言われてました。自覚ありってことかな。

 

どのくらい鬼軍曹なのかというと

  • 1回教えたことができなかったらブチ切れ
  • むしろ教えてなくてもブチ切れ
  • 逃げ道が無くなるくらい言葉で攻めてくる
  • 怒ると声がめちゃくちゃデカくなる
  • 声デカすぎてケータイだと音割れする

これくらいです。

しかもこの人、記憶力が抜群なんですよね。自分が言ったことも相手が言ったことも覚えてるんですね。

新人の頃に1回だけ教えてもらったことを3年後に使うことがあって、覚えてなかったということで怒られたこともありました。

 

鬼軍曹に怒られるのだけは嫌だったので、教えてもらったことは絶対に忘れないようにする必要がありました。そこで僕がとった行動は

教えてもらったら即メモ

手書きのメモだとノートが足りなくなる

パソコン上にメモをする

文章だとわかりにくい

画像や写真を使ったメモを作る

メモの数が膨大になって目的のメモが探しにくくなる

メモ用の目次をエクセルで作る

ここまでやってようやく鬼軍曹に怒られる頻度が減りました。後にここで作ったメモが新人教育用のマニュアルとして使われるようになったのがイイ思い出です。

 

残業100時間を超えて、同僚Kから「働きアリ」と呼ばれた

Jグループへの配属後、順調に残業時間が伸びていき、月の残業時間が100時間を超えるようになりました。

当時、昼飯は同僚のK君と一緒に取っていました。

 

僕「最近ついに残業時間が100時間超えたわ」

K君「お前マジ働きアリやな」

僕「・・・

 

アリとキリギリスの童話は知ってますが、明らかに悪い意味での働きアリ。言い返す言葉がありませんでした。

後にK君は僕以上の働きアリとなり、いつ家に帰っているのか不明な状態になりました。

 

NumLockを知らなかった同僚Kが社内随一のプログラマーになる

僕を「働きアリ」呼ばわりしたK君。その後僕以上の働きアリになりました。

実はこのK君。パソコンというものが嫌いで、学生の頃は極力使わないように生きてきたみたいです。なんでK君がIT企業に入ったのかは謎です。

そんなK君ですが、入社当初はNumLockがわからず、パスワードが弾かれると言って騒いでいました。パソコンわからない人あるあるの見本のような出来事です。

 

ですがこのK君。働きアリになったあとはプログラマーとしてめきめき成長をしていき、僕が退職する頃には社内でも有数のプログラマーとなっていました。

やっぱり働きアリと言われるくらい働いていると、苦手なことでも立派に使いこなすことができるようになるようですね。

 

後輩が入るたびに憧れの先輩として名前を言われるようになったK君ですが、毎回NumLockの件で先輩からからかわれているようです。

 

大型プロジェクトが重なって残業が170時間

当時は毎年1回は大型プロジェクトが入ってきていました。大型プロジェクトが入ると残業時間が跳ね上がり、100時間を軽く超えるようになります。

僕が何年目の頃だったか、大型プロジェクトがまさかの2本ほぼ同時期に入るということがありました。

会社としては嬉しいと思いますが、社員としては苦しい日々が続きます。このとき僕の残業時間は月に170時間という数字を叩き出しました。これにはフリーザ様も真っ青です。

この数字を多いとみるか少ないとみるかは自由ですが、当時の社内で170時間は少ない方でした。

 

170時間というのがどんな数字なのか、簡単に説明します。

まず、一般的な正社員の方は残業が0時間だった場合、1日8時間働いています。これが月曜から金曜まで続くと週で40時間働くという計算になります。

1か月は4週+αくらいなので、1か月の労働時間は160~180時間となりますね。

つまり、まったく残業をしなかった場合、月の労働時間は160~180時間ということです。

残業が170時間ということは1日に2日分働いているという計算になります。鬼畜ですね。

 

このときの社内の様子は明らかにおかしかったです。

 

夜10時に帰ってきたら、「今日は早かったね」と言われた

当時僕は実家に住んでいました。家に帰ると実家の親がいるわけですが、たまたま夜10時に帰れた日には「あれ?今日は早かったね?」と驚かれました。

「夜10時に帰宅」 = 「あれ?今日は早かったね?」

絶対におかしいです。

 

過酷な労働環境だと、働いている人の考えもおかしくなるという話があります。

「こんなに残業が多いのは自分が出来損ないだからなんだ・・・」

「上司から毎日怒られるのは自分が悪いんだ・・・」

「逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ・・・」

そんな考えになっちゃう人の気持ちはわかります。仕事でいっぱいになってくると、思考回路がおかしくなってきますね。

 

でもまさか実家の母まで思考回路がおかしくなるとは思いませんでした。

夜10時の帰宅は、誰が何と言おうと遅いです。

 

定期的にあった社員旅行が1番の思い出

なかなかハードワークな会社ですが、少なからず楽しいイベントがありました。その1つが社員旅行です。

社員旅行では候補地数か所から行先を決めて、数年に1回行くことができました。だいたいが国内の観光地か外国の観光地でした。

僕はちょうど10年パスポートを持っていたので、海外に行くことが多かったです。行った先では研修的なものは無く、完全に自由行動です。同僚や気の合う仲間内で行先をそろえて普通に旅行を楽しみました。

上役の人を接待するようなイベントもなかったので、会社の飲み会が嫌いと言う人でも楽しめていたと思います。(僕は飲み会が好きな方ですが)

 

懇親会や歓迎会に参加できなくなったころから退職を意識しだす

忙しすぎて社内のイベントにすら顔を出せなくなってきました。

会社の飲み会が嫌いと言う人もいると思いますが、僕は好きな方でした。もちろん上役の説教を聞くだけの会は嫌いですが。

僕がいた会社は懇親会が多く、参加しようと思えばほぼ毎週何かしらの懇親会がありました。

最初の頃は本当に毎週のように顔を出していましたが、仕事が多くなってくるにつれて参加できないことが増えてきました。

懇親会が始まるのが18時頃として、終わるのが21時頃。早い場合は20時頃です。2次会までいったとしても飲み屋の閉店時間が0時ごろです。

僕の仕事が終わるのも0時ごろです。

仕事を終わらせて駆け付けたとしても、すでに閉会してるんですよね。

 

なんとか仕事を早く終わらせて、飲み屋に駆け付けたはイイものの、お茶を1杯飲んだら閉店時間なんてことも多々ありました。

一番辛かったのは幹事をしている懇親会に参加できなかったことです。数週間前から幹事として打ち合わせを重ねていき、当日は残業で不参加。

「何のために働いて、何のために幹事をしてるんだろう・・・」

このとき初めて「退職」という文字が頭をチラつくようになりました。

 

真冬の高速道路で死にそうになる

眠いときに車の運転をする仕事はしたくないです。

 

僕はシステム運用を担当していました。この仕事は社内での仕事が中心ですが、お客さんのところへ行ってシステムの保守作業や打ち合わせ、要望の確認なんかをすることも多くありました。

作業量の多いときなんかは、6時間くらいお客さんのところにいることもありました。さらにトラブルが起きたときなんかは10時間以上いることも。

 

石川県というのは縦に長い県で、金沢市から1番遠い場所へ行くには高速を使っても2時間以上かかります。下手したら東京に新幹線で行った方が早いくらいです。

お客さんのところへ10時に着こうと思ったら、8時前には出発しなければなりません。毎日0時頃に仕事が終わる時期に、朝8時から2時間以上高速道路を運転します。

ハイパー眠いです。

眠気覚ましを使いながらなんとかお客さんのところへ到着し、そこから作業を開始します。トラブルが起きようもんなら0時近くまでお客さんのところで作業をします。

ようやく作業を終えて、2時間かけて会社へ戻るわけですね。

僕が住んでいる石川県は雪の多い地方。がっつり雪の降ってる中、夜中の0時くらいに高速道路を走ります。

ハイパー眠いです。

中央分離帯に何度ぶつかりかけたか。無事故で退職できたのは奇跡かな?たぶん一生分の運を使い果たしてます。

 

新卒で入った場合は、60歳で退職するとしても38年間はこの生活が続く可能性があります。

「うん。絶対に何回か事故る。」

ここで「退職」の文字がはっきりと浮かぶようになりました。

 

残業時間を減らしてもらうようにお願い⇒30時間になる

4年目になったくらいに残業時間を減らせないかと懇願してみました。

必死さが伝わったのか驚くほどあっさりと受け入れられました。たぶんうつ病を何人も排出してる会社からして、うつ病予備軍だと思われたのかな。

 

お願いをした最初の月の残業時間は30時間でした。30時間が多いとみる方もいると思いますが、当時の僕からすればめちゃくちゃ少ないです。しばらくはすごく幸せな時期が続きました。

 

結局60時間くらい残業をすることになる

残業時間が30時間になって喜んでいるのも束の間。

翌月は40時間。翌々月は50時間。あっという間に60時間残業になりました。60時間はピーク時に比べれば少ない時間ですが、普通に長時間残業です。

「もうここまでだな」

そう思って転職活動を開始しました。それとほぼ同時期に部署異動か退職のどちらかを受け入れて欲しいと職場に相談をしました。

 

数か月ねばって退職決定

退職の意思を伝えた後は、説得を何度か受けることがありました。

「転職先では今の環境よりも悪くなることもある」

「もしも戻ってきたいと思っても、受け入れることはできない」

「お前だから引き留めている」

「この先、この会社も残業が減る予定だ」

色んな事を言われました。これらのことが本当のことなのか引き留めるためのセリフなのかはわかりませんが、確かに転職がイイ方向へ行くかはわかりません。

 

当時の僕は独身でしたが、すでに結婚を意識している相手がおりました。(もちろん今の嫁です)

この先結婚・出産をして家庭ができたとき、「父親がずっと家にいない」という家庭にはしたくありませんでした。

たとえ金銭的には裕福でも子供の成長を近くで見ていないというのは、子供にとっても嫁にとっても絶対に悪影響です。

 

「この先、この会社も残業が減る予定だ」

この言葉だけが心に引っかかりました。たしかに残業さえなければ悪くない職場だと思っていましたので。

ですが具体的に何年くらいで残業が減る予定なのか聞いてみると、「10年はかかる」という回答でした。

もし、子供が生まれていたら10歳です。小学校4年生くらいですね。

少なくとも小学校4年生までは近くで成長を見られない可能性が高いということです。

 

やはり僕は退職を決意しました。

 

最後に。新しい環境で気づいたこと

退職をしてからはすぐに次の職場が見つかりました。

前職の名前が効いたようで、「あそこで5年間耐えてきた人なら大丈夫」という考えで雇ってくれたみたいです。

 

新しい職場でもパソコンは使います。というか肉体系の仕事じゃなければパソコンを使わない職種なんてたぶん無いですよね。

IT系でない会社に入って気付いたことがいくつかあります。

  • 「若い人=パソコンが使える」なんてことはない
  • ITに詳しい人がいない職場だと、非効率的なやり方が普通
  • パソコンのセキュリティもゆるゆる
  • 「ITに詳しい + 何か」は超有能

今、IT業界にいる人はこのことが信じられないかもしれませんが事実です。

もし、IT業界で働いているけどスキルに自信が無いという方は転職をおススメします。まったく違う業種に入ると花が開くかもしれませんよ。

 

小話

Posted by たけし